一、 趙 某 男 35歳 京畿道
病 歴 : 約10年
初めての症状: 足首に挫く症勢で常習的な症状
(そのとき無心に過ぎてあまり痛症が激しい出はながった。)
初めての発病 : 激しい運動の後で酒を飲んで苦痛同伴、その後で血液検査(尿酸数値)後痛風判定.
治療過程 : 病歴が長くなって発作回水も多く仮なり、痛症期間も長くなった。
1. 痛症 発作時だけ洋薬を服用.
2. 病歴が長くなって4年前から病院で治療(皮下注射(鎮痛消炎剤)投与、その以降、注射に 依存しなければ痛症が消えない。)
3. 病気の原因はいろいろあるとおもうんたが本人にあたる原因と考えられるのは遺伝と 腎臓機能の弱化と判断する。
4. 最終的には痛症の時は服用している薬以外に尿酸抑制剤を毎日2淀を服用しあければ治療ができないという医師さん最後の処方。
5. 尿酸抑制剤を継続服用すると耐性が生じて量を増えなければならないと思ったが医師さんの最後の処方にあたって韓薬での治療方法を変わった。

二、 趙 某氏の闘病記

1。本人は貴院で一ヶ月ぐらい手当てをうけっている趙と申します。
本人と同じ病気で苦労しているみなさんに若干だけでも病気に克つ情報を共有するのに役に立たばいいかとおもって降ります。
初めに闘病記といったのはまた進行中(40余日)を意味します。闘病過程が長く、苦しんでん本人も何回も抛棄しようかとおもったが院長先生の完治に対する確信に多く激励と慰労を感じています。
貴院のホームページを訪問し、完治が可能たという説明をみてすぐ手当てに臨んで治療開始日 一週日前からすこし痛くなり、韓薬服用後.約一週日後に現す痛症、そして一ヶ月以上になった現在まで痛症に苦しんでいます。生業の抛棄まで甘受して病魔と戦うのは旺盛な社会生活を する年齢で一度発作が起きると足指一つうこけない苦痛がたまらないからです。
韓薬で治療後の別の苦痛に対して、
鎮痛剤なしに手当てに当たるのはその苦痛が二倍になる苦しい経験でした。治療期間(40余日)中 15日ぐらいを苦痛で夜中でも眠られな眠られながっ単です。病気がもっと酷くなるのではないかと思って院長先生に電話する毎に完治に対する強い確信を見せてくれますし、病歴(約10年)が長いからそれほど治療期間もながく苦痛も大きいとおっしゃりました。後、一ヶ月ぐらい手当てを侍読すればかならず好転しようと教えてくれました。今日以降一週間の間隔で病気の治療の状態にダイシテ報告しようかと思っております。貴院の不治の病気に対する中断なしの挑戦と研究に感謝します。
2001年 5月 7日

2。みなさんこんにちは
約束のより報告が遅くなって申し訳ございません。
遅くなった理由は一週間前に尿酸測定のため血液検査をしたが結果を遅く確認したからです。本人が貴院で治療を始めたから亡もう二ヶ月過ぎております。いまでは治療に対するいい結果を言えないことをもどかしいと思います。血液検査の結果が治療の前より悪くなって異常たと思っております。98年に病院一過小個所をきめて定期的に定期的に血液検査をしております。その間の結果は次のようでございます。尿酸数値は 6.7~10.1まで幅広く、年初には低かったですが、夏は多少高くなり、遅い秋にはすごく高い数値(10.1)でした。正常値が3~5であるから高い数値でしょう。
韓薬治療をしてから50日を過ぎていまは若干外出もできるし、苦痛ももっと悪化されていないから期待を持って検査を受けましたが、数値は韓薬治療前よりたかくなって異常と思いました。その結果に対する貴院は血管と関節に沈着した尿酸を溶解しているから治療期間の中には数値が高くなる場合もあると答えてきました。
いまの症状を申し上げます。
とりあえず、歩けるのに非常に満足しています。しかし左のひざと左のあしくびに歩く時の痛症が悪化はしないですが治す速度が非常に軽微して治すことを感じないぐらいです。貴院で治療をうけてから4回次の韓薬を服用中で.1, 2会次は痛風治療剤。たってその以降、本人の病勢が回復が遅いから3、4回次は痛風治療の根本的な問題として体が弱いから薬を良く吸収しないことを治療する薬剤を服用しています。いまの状況ではなんとも言えないですがもっと時間をおいて治療期間中には貴院の方針に徹底しようと思っております。
15日経過した後でまた尿酸測定のための血液検査をしてその結果と病気の好転状態を報告します。
次の報告には言い結果がでるように祈っております。
貴院の不治の病気に対する中断なしの挑戦と研究に感謝します。
2001年 5月 22日

3。みなさんこんにちは
本人が 闘病を始めたからもう三ヶ月に至っております。
闘病期間が6個月になるか1年になるかわからないですが目標は一つかならず完治しようと思いながら手当てに当たっております。
優先、血液検査の結果に対して報告します。4月末の検査結果は血液検査結果なかで一番高い結果になりました。一番高かったのは数値10.5たって、約15日以後には数値より若干低い9.4たったのです。尿酸数値が低くなったがまた高い数値であり、それである評価を下すのは難しいと思います。またあしくびの腫れが残っているし、熱もありますが病勢は少しずつ弱くなっているし、歩きも不自然ながらおおく好転しています。それゆえいまは散歩したり、痛いため弱くなった筋肉を強化するため運動をしたりしています。
病気はそれ以上悪化されないであるが好転の速度はまた微微多と思います。しかし好転されているのは確実と思います。
前にも言いましたが4回次の韓薬を服用をしていてそのなか1次、2次は痛風治療剤であり、3次、4次は治療を圓滑させる薬でした。一昨日に5回次の薬をもらったのでそれは本格的な痛風治療剤であり、その薬を服用すれば尿酸置がおおく低下すると聞きました。
血液検査はまた15日あとで検査の結果をみてから報告します。
不治病に無限に 挑戦し、そのため苦労しているおおくの人々に希望になっている貴院に感謝します。
2001年 6月 22日

4。みなさんこんにちは
貴院の新しいホムページの開設を祝賀します。報告が遅れて申し訳ございません。
本人が闘病に入ってか5ら四ヶ月に至っております。優先、いまの病勢にたいして申します。.
いまは生業に積極的で情熱的に臨んで降ります。走ったりして生活もすごく正常的であるが、切ないけど今月の初に測定して血液の中の尿酸数値はであって、今月16日頃貴院に訪問して測定した数値は9.3でございました。本人は中立的な立場でいまの状況が完治か、ないかを明白にいうことが難しく客観的な判断の基準は血液の中の尿酸数値と思っております。
本人はまた闘病過程にあり、韓薬を服用する過程でも徹底的に貴院の指針に従って降ります。足首にはまた膨れが残っているし、熱もありますが前にも申したように非常に微細に好転されております。
血液の中の尿酸数値は15日ごとに測定しており、次の掲示は7月初に上げます。
本人の手紙を読んで下さって、電話で激励と慰労を下さったみなさんに感謝します。
聞きたいことがありましたら次の連絡処に電話してくださいませ。
同じ病気で苦しんでいるみなさんに私がわかる限り全部答えて上げます。
連絡処:016-404-8494
2001年 7月 10日

5。みなさんこんにちは
熱い夏で健康に各別に有意して下さい。報告が遅くなって申し訳ございません。とりあえず、病勢に対して申しますと非常に正常的な生活をして降り、生業にも熱心に任しております。
報告が遅くなったのは、血液尿酸数値がまた高く、手当てを受けても数値が高いという言葉を申すのがもし貴院に迷惑にならないか心配したからでございます。
前の尿酸数値が8.8であって、貴院で測定した数値は9.3でございましたが、先月末に貴院でまた 測定した数値が10.9出会って、今月9日に測定した数値はおおよそ11.9に至りました。上の結果に対して数値に関係なしに本人の健康状態は非常に正常的であっても、数値が高くなって、それを報告するのに悩みました。同じ病気で苦しんでいるみなさんも本人と同じような尿酸数値の高い現象に悩む人々がいらっしゃると思います。
reply: 数値に対してうちの病院。にも大きに悩んでおります、一度高くなった尿酸数値を落とされるのはそんなに簡単なことではないからです。しかし、尿酸数値が高くなった原因に対しては一言申しておきます。趙さんの場合、初めには尿酸数値が比較的に低くなったのはある程度、薬も服用したり、たべものにも気をつけたりして、血中の尿酸濃度がある程度調節できたと見えます。しかし、関節に集まった尿酸結晶に対してはうちの病院で手当てをうけながら優先的に関節に集まった尿酸結晶を溶解する治療が行われました。その過程ではげしいな痛症が起こりましてそれは関節の中の 尿酸 血液野中に溶解され当然に血中の尿酸濃度は高くなるべきであったのです。現在は血中の尿酸を小便を通じて排出させる治療が行われております。しかし、うちの病院の治療は洋薬(ザイロニクような)とは違って薬を服用次第にすぐ尿酸数値を落とさなく、脾臓と腎臓の機能を改善させながら徐徐に自然的で尿酸排出が圓滑になれるようにしますから一応高めた尿酸の濃度が正常数値にもとるのはある程度、期間が必要であると思います。今こそ患者の信念と忍耐心が必要でしょう。我々も一生懸命早いうちに尿酸数値が正常にもとるように頑張りますからもうぞっと辛抱しながら結果を待ってくださいませ。
2001年 7月 27日

5。みなさんこんにちは
蒸し暑い夏にみなさん元気でしょうか。
とりあえず、尿酸数値に関して報告します。7月12日に測定した結果は9.4であって、今日(27日) 測定した結果(玄徳韓医院での測定)は10.1でございました。前に一番高かった数値(11.9)に比べては低い数値であるが依然として正常(2~7)には至っていないのです。外観的な活動は前に 申したように非常に正常的です。そして前にもたまに感じた体の変化、すなわち朝起きたときに感じた痛み不便さが殆んどなくなりました。いまでもたまにはその症状がおきるですが私の体にその変化に対応する能力ができあがった感じです.
今度は7回次の薬を服用しているが、前は本人の消化機能低下と不便左を考慮してぞっとやさしい処方をしたが今度はある程度機能が回復され、強度をぞっとたかめて処方をしたという話を貴院から聞きました。今度の薬を服用したら尿酸数値も変化があるだろうと思います。
全国各地で同じ病気で苦しめるみなさんから大きな激励と慰労の電話に感謝し、完治の標本になるように強い覚悟で治療に任じております。以後15日′續wでまた測定値を教えて上げます。
貴院の不治の病気に対する中断なしの挑戦と研究に感謝します。


三、 宋 某氏の闘病記
1。2001年 7月 19日
2001年7月11日 一番目の韓薬を食べ始めた。
処方には毎日2包みずつ服用.(最初3日間)
左右の親指の関節の方に徐徐に痛症が感じました。。
ともに右の足の関節にも痛症がでて.2日目を過ぎて3日目になると全然動けないぐらい痛み始めました。朝の中に厳しい苦痛に苦しんで、あしたのことが心配たったのです。病気になる前に健康に用心しなかったことがこのような結果になったと後悔しました。.
朝早く、病院に勤務する親戚を呼んで臨時方便として鎮痛済(バレンタク75mg/2ml)を注射し、 20余分がすぎたら痛症がなくなり、眠りたくなりました。院長さんの処方通りに1日包みに薬 の服用量を増やしました。また歩けもできなく、足の関節の尿酸侵蝕部分も黒い色に変り、すぐその 部位が赤く膨らんで、まるで腫気の腫瘍部位のようになりました。数時間の後、その部位から血や膿汁がでて、痛みを冒して患部を押し出されました。その部位の皮膚も状態も変になりました。急に整形外科にいて治療をうけたら、もし炎症にならば複雑であるから抗生剤を 注射してくださった院長は親切したが韓方治療をうけているというわたしの話を聞いてぞっと変に思っている感じでした。また、足の患部のあたりに熱のあとが残っているし、鎮痛剤の效力がなくならば活動は全然できない状態でした。尿酸を押し出した足首は動かせばいたくなりました。どこまでこのようにいたいのか。いつ元気に活動できるか本当に心配でした。
2001年 7月 20日

2。痛風の痛みはまさに痛風患者たちしかわからないでしょう。足首の関節部分の尿酸結石が腫瘍部位のようになりましてたいへん不便で怖がったです。一般の傷処のように簡単に治療できる病気もないし、継続に白い膿汁のような変な液体がでながら傷処は好転する見込みが見えなです。病院でドレシング"をしながら医師さんたちが手術が必要だろうとおっしゃりました。"もしそのままおくと炎症が骨髄炎まで悪化する場合もある"と言いながら抗生剤を注射しました。しかし韓医師さんを信じてソウルから持ってきた韓薬は抜けないように服用しているが数日前からはりを間歇的にしています。今日はぞっと元気になる仮名かなと期待感をもって朝おきると痛症は同じです。おもしろいけど一ヶ月中に本人の生業である自動車の販売が不振したがいたくなるからどうしてお客さんの注文の電話はこんなに多くなるのか私も笑ったりしております。鎮痛剤で一日を辛抱して薬效が落ちる時間帯になって院長さんに電話してどうしても結石除去手術をするべきという私の心境をもうしたら"しょうがないから、しかし薬の服用は切れないように"とおっしゃりました。
また、左の足の親指が痛み始まっています。隣近に住んでいる親戚に鎮痛剤の注射を頼んだり、この肉体的、精神的な苦痛はいつまで続けるのか。しかし。15年の不注意を一気に治せるのは無理かも知れない。院長さん。もしあした連絡がなければわたしは外科の病院で手術を受けているかもしれません。言い結果になるように祈っております。
この闘病記を呼んでいる痛風患者たちよ!遅れたと感じる時間こぞ一番早い時間であることをわずれないように!
とりあえず、すきなお酒を遠了してください。禁酒のはじめは痛風治療の第一歩です。
いい情報をながしてくださいませ。
連絡先 017-402-0047


四、 金 某氏(男、30、大邱)の闘病記

1。痛風との戦争
わたしは30歳の健壮な男子として大邱に住んでいる金と申します。わたしは子供の時から韓国相撲運動をして体重も140kgまで至った時期もありました。大学校 2学生まで運動をやりましたが、負傷によって運動をやめることになって平常時の体重はぞっと重すぎて生活するのに苦労しました。それゆえ、体重を約30kgぐらい減らしました。そのような過程で足の親指と関節、ひざなどが順番に痛み始まりました。一個月に一回ぐらい痛症がしまし手、はじめはあまり気にしなかったため、鎮痛剤だけを服用しましたが肘に小さな脂肪の固まりができました。皮膚科にいって組織検査をした結果、痛風という診断蛾でて、20日ぐらい入院手当てをうけました。体重だけ10kg程度減らしたが痛症はであり、病院ではあまり進展がなかったため退院して鎮痛剤■だけで辛抱しました。そうするうちに痛風薬を専門的に取り扱う薬局を知って約3年程度 薬を服用し、服用したらいけない鎮痛剤(ステロイド剤)注射薬もうちました。そうするある日ケイブルTVを通じて■■韓医院を知りました。
たちまちつぎの朝ソウルにある韓医院にいって診察をうけましたが体質が少陰人と判明して少陰人に対する痛風治療をはじまった三日あとに鎮痛が始まりました。痛みが苦労すぎて前に服用した薬局薬を食べたら鎮痛が止まりました。約一ヶ月をそのようにいたが薬局からもらった薬はなくなってもそれ以上は注文しなかったのです。強い気持で一週間になり、痛症が前に痛症は比較もできないほど痛くて、たまらないぐらいでした。

つぎの日になって体のどの部位でも動けなくなりました。ついに痛風との戦争が始まったのです。痛風薬を一日8包みから多い場合は12包みまで服用しました。おかしいけど痛風薬を食べた後はお腹が空くという感じもないし、食事の要求も感じることができなくなりました。しかし大便は二日間に一回で量がかなり増えた植えた気持でした。不眠症も生じて一ヶ月に10分以上寝なかったこともありました。家族も妻も私の病気のため相当苦労して、特に妻が姙娠中で苦痛が並大底でした。.
痛症が激しくなったら気絶した時もありました.鎮痛が始まったら短い場合は数時間、長い場合は一週間も続きました。例えば右の膝の痛症が左の膝へ、つぎは左の肘そして右の肘、このように痛症が体を回りながら痛めました。相当苦痛が激しくて綜合病院に入院しようかと思ったことがありましたが苦痛の時ごとに韓医院に電話して金院長からの激励に助けて今日籬まで至りました。8個月過ぎたいまは普通の人と同じように生活ができました。まだ治療中ですが殆んど終わる段階です。■■韓医院を知ることになったのが私にとっては幸運でした。

五、 安 某氏の闘病記
ー2個月の間の闘病生活に対してー
みなさん、こんにちは
私は安と申します。痛風になってから約10年(1991年発病)になりました。現在、玄徳韓医院三番目の薬を服用している患者です。完治に対して強い疑問を持っている痛風患者に私の話がちからになれるように私の闘病経験を申します。10年という病歴からわかるように漢陽大病院(関節に関しては国内一と言われてます)及び忠北大病院、そのほか関節炎専門 病院、まちの韓医院をまわりながら治療しようとしたが、"完治できるという話を聞いたことがありませんでした。完治が可能ならばなんでもするという気持でした。2001年5月ある日にまた発病して.今年にはいってを四回めでした。いまは耐性ができたか、注射の後3-4日■で痛症が押さえたが今度は一週間以上痛症が続けました。完治できる方法を探して回っているうちにインタネットの検索サイトで"韓方"という単語を入れて検索をやりましたら偶然に"痛風完治"という単語が含んだサイトがでました。玄徳韓医院でした。
訪問当時、院長さんは約1時間にわたって治療の方法を教えてくれました。治療に必要な費用は
一ヶ月50万から60万ウオンぐらいでした。
私の闘病生活はつぎのようでございます。
先に 闘病記を書いたみなさんと同じように私も薬を服用してから約2週後瞑眩現像が現しました。1週間ぐらいは左右の足首、左あしの親指などで連続的に痛症に苦しめました。しかしこのような痛症の中でも会社は正常的に出勤しました。薬を服用してからもう二ヶ月が過ぎています。私ははじめには尿酸の数値が9.8であって、韓医院に行く前、即ち、薬を服用する前の数値が11.8、薬(沈着された尿酸を溶解させる薬)を2回服用した後測定値は8.8としてかなり落ちました。もちろんいまは正常的■な生活をして降ります。
院長の話によれば、脾臓と腎臓の二つ共に悪かったのは先の趙さんのケースで、私のような場合は脾臓の機能だけが悪いケースで血中に溶解された尿酸が腎臓を通じて小便で多く排出させた結果だとおっしゃりました。私の場合は今度の治療で完治できかも知れないという期待感を持っております。完治という概念が関節に沈着された尿酸を除去すること(1段階)と血中の尿酸値を減少させること(2段階)、そして、腎臓と脾臓との圓滑な循環関係を維持すること(3段階)と聞きました。私は一応1段階と2段階が同時にできたと思い3段階は尿酸置■が落ちれば自然に回復できるだろうと思います。
私のメールはanjongho@shinbiro.comです。もし疑問事項がありましたら連絡してくださいませ。

六、洪 某氏の闘病記
2001年 8月 1日
みなさんこんにちは。
本人は47歳 男子として痛風で15年以上苦労しました。その間綜合病院を通院しながら治療にあたったが根本的な治療ができなく、再発が反復され、痛症で悩みました。痛症の程度は先のみなさんが詳細に記述してここでは省略します。多幸に玄徳韓医院で痛風を完治することができるというニュウースに接して院長と相談した後、現在まで10日間薬を服用しており、痛症はいまも継続しています。(治療過程の中、尿酸を溶解させる過程からでる痛症:瞑眩反応)

韓医院訪問の所感は.
一、: 院長さんが誠意を持って相談してくれまして完治に対する確信を持ち、職員たちも親切に質問に答えてくれました。(患者の立場では信頼と確信が一番重要だと思います。)
二、 : 長期間に痛風で苦労した本人には現代医学としては痛風を完治できないという事実をよく知りましたが韓医学で治療ができるという希望を持ちことになりました。
まだ 闘病記を書いて下さった趙さん、金さん、宋さんに感謝します。
その闘病記が私には大きなちからになりました。
1週間の間隔で闘病記を書いてくださいましたら闘病に対する情報の確実な共有が可能であろうと思います。質問に詳細に答辯して下さった院長さんにも感謝します。質問者の大部分が完治に対する強い疑問を持っていますから完治に対するもっと確実な説明が必要さと思います。
痛風患者のみなさん!
痛風は初期に根本的に治療しなければ継続的に再発して腎臓などいろいろな臓器に影響をあたえるおそろしい病気です。(主に肉や油っぽいたべものを楽しめる男子に多くでることを玄徳韓医院の動映像資料を見てわかりました。)
痛風患者のみなさん!
必ず、初期に適切な手当てをうけて痛風から完全に解放摩るように祈ります。